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道営競馬を変えた皐月賞馬が逝く

 このところ名馬の死が相次いでいる。北海道の競馬ファンにとってはシンボリルドルフの死にも匹敵するショックだったのが、10月28日に25歳で老衰のためけい養先の新ひだか町・日本軽種馬協会静内種馬場で死んだ、89年皐月賞馬ドクタースパートだ。

 道営競馬のスーパーヒーローだった。デビュー3戦目から4連勝で北海道3歳優駿(札幌ダート1200m)を制したのだが、時計は驚異のレコード1分11秒8。同年JRA札幌3歳Sでミヨノゴールドがマークした1分14秒0を2秒2も上回り、マルゼンスキーのライバルとなったヒシスピードの持つJRAコースレコードと同タイムだった。

 当時の道営競馬は、地方競馬の中でもかなり低いレベル。「道営のスター」と呼ばれる馬が中央入りすることはあったが、JRA重賞勝ち馬は1頭もおらず、キョウワジャンボのシンザン記念2着、ホロトアイフルのローズS2着などが最高。ハイセイコーやイナリワンの南関東、カズシゲやヒカリデュールの東海とは大きな差があった。だがドクタースパートにはこれまでの道営馬に不足していたスピードがあり「この馬なら悲願のJRA重賞制覇が可能」と思われていた。

 その期待通りに、中央入り初戦の京成杯3歳Sであっさりと重賞制覇を達成。皐月賞ではウィナーズサークルを退けてクラシック制覇までやってのけた。道営時代の関係者、ファンは「ついに道営馬が天下を獲った」とお祭り騒ぎ。道営時代の主戦だった佐々木一夫騎手(のちに調教師、故人)がレース直前に減量中のサウナから飛び出し、素っ裸のままテレビ前で的場騎手のリズムに合わせてステッキを連打する姿が忘れられない。

 その後はステイヤーズSも勝って引退。種牡馬としては目立った産駒を残せなかったが、道営全体に自信を植え付け、のちの飛躍的なレベルアップのきっかけとなったという面で、その功績は絶大なものがあった。

2011年11月04日